日本全国の多くのみなさんのこれまでの御協力に、
スタッフ一同本当に感謝です。
 この事業を展開してみて感じたことは、「物資援助」に関心のある方が世の中にはとても多いということです。援助の窓口さえしっかりしていたら、この「物余りの日本」での物資援助活動はどんどん広まるはずです。
 しかしその一方で、実際に物資援助に携わると、むずかしい問題もたくさんあるということも実感しています。

なぜスリランカなの?

スリランカの学校へ援助を始めたきっかけは・・・

ペルポラ師の写真
ショップを訪れたペルポラ師
スリランカの高僧ペルポラ・ビパッシ師は貧しい子供たちに無償で学校教育の場を提供しています。
しかし、文具や楽器などが不足しており、充分な教育が与えられないのが現状です
スタッフとの写真
スタッフとともに記念写真
2000年春、ペルポラ師は浜松を訪れ、日本の私たちに不要品の物資援助を依頼されました。


これまでの経過を追うと・・・・・ 

2000年7月27日 スリランカよりペルポラ・ビパッシ師が浜松を訪れる。
  スリランカを描く浜松在住の画家、高倉清雄氏を通して、ビパッシ師がリサイクル運動市民の会静岡県本部の事務局を訪れました。ビパッシ師はスリランカの子どもたちの教育の場では多くのものが不足している現状を訴えられ、日本からの援助を依頼されました。
リ・ユースはまさに私たちの活動の基本であること、既にドミニカ共和国援助の実績があることなどから、私たちはこの依頼をお受けしました。浜松は楽器の街なので、楽器を中心に援助物資を集めることにしました。
   
2000年8月 会員の皆様を中心に、物資寄付の呼びかけを開始
  ショップやフリーマーケット会場で訪れた方々に楽器・文具・子供用衣類・おもちゃなどの寄付を呼びかけました。少しずつ物資は集まり始め、中には温かい手紙やスリランカまでの送料が添えられているものもあり、私たちの心も温まりました。
   
2000年12月3日 第1回 物資の消毒・清掃・整理作業
  この時点で集まった物資は、リコーダー139本、鍵盤ハーモニカ107本、その他の楽器・文具・おもちゃ・衣類などで、大型ダンボール30箱になりました。
浜松市北島町のボランティアの方のお宅にて、それらの消毒・清掃・整理作業を行ないました。作業は時間もかかるし考えるほど楽なことではありません。ボランティアで参加してくださった約10名の会員の皆様、どうもありがとうございました。
   
2000年12月 中日新聞に掲載
2001年1月 静岡新聞に掲載
  この活動に関する記事が掲載されたことで、県内各地、県外からも援助物資が郵送で集まり始めました。ホームページからの問合せも増えました。中には学校をあげて物資を集めてくださった方々や会社内で集めたものを送ってくださった方もいらっしゃいました。
しかしその一方で残念なこともありました。求められていないものや、洗ってなくて汚れたままのものも送られてきたのです。スリランカへの援助は決して日本人のゴミ捨て場ではないのに、勘違いされている方がいるのも悲しいけど事実ですね。スタッフ全員この対策には頭を悩ませました。
しかし新聞の宣伝効果は抜群で、毎日いろいろな地域から物資は届けられ、楽器・文具・おもちゃ・衣類がどんどん集まり、事務局の倉庫はもうパンク状態寸前でした。
   
2001年2月19日 援助物資を抱えてスリランカへの旅
  いよいよ、現地入りです。本当に私たちみんなの気持ちがスリランカの子どもたちに伝わるのかしら?だとしたら、どんな風に?そんなことを考えたら、物資を船便で送るだけよりも自分のこの目で見なくては!という気になって、ついにスリランカまで行ってしまいました。
さて、期待は裏切られなかったのでしょうか?実はとても多くの収穫がありました。
第1回スリランカ物資援助の旅の報告を絶対に見てください。
   
2002年3月21日 第2回スリランカ物資援助の旅
  第2回スリランカ物資援助の旅の報告も御覧下さい。




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リサイクル運動市民の会静岡県本部